カンニングといえば今は竹山一人でがんばりネタはやらないもののバラエティや情報番組で活躍しているお笑い芸人だ。
今回はその相方で才能を惜しまれつつ2006年にこの世を去った相方の中島忠幸を中心にまとめていこうと思います。
カンニング・中島忠幸のプロフと経歴
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中島忠幸は福岡県福岡市城南区で育ち、のちに相方となる竹山隆範は小学校、中学校の同級生で竹山の最初の相方のケン坊田中こと田中健二は小学校の同級生である。竹山とは小学生低学年の頃からかなり仲がよく1年生の頃から一緒に釣りに行くなど遊んでいたという。中学校を卒評してからも竹山との中は続いており、竹山がやっているバンドのライブを見に言ったりしていたという。しかし中島は当時のイドルの田村英里子の熱血なファンでファンクラブの親衛隊長をやっており追っかけに夢中で両親には内緒で高校に退学届けを出してしまったのだ。
そこから食べていくために板前になると決め飲食店に弟子いいりして修行すると筋がよくメキメキ成長して言った。
そこから一緒に弟子入りしている先輩にはかなり嫌われており毎日いじめられてたという。料理は好きだがこんな先輩がいるところではやっていられないと店を辞めて東京に向かう。しかし東京に向かってもすることはなく東京に向かった理由は両親とも気まずく店の人とも気まずく福岡にいるのが気まずくなってしまったのだ。
しばらくは親衛隊の時の隊員の家で住ましてもらっており、アルバイトをして生活していた。
そして東京の定食屋で竹山と偶然の再会。竹山は福岡の吉本に入っていたが竹山の東京で上り詰めなきゃ意味がないとおもい田中健二とのコンビを解消し一人東京きていたのだ。
しかし二人ともバイトはしていたがやることは決まっていなく毎日遊び歩いていたという。
次第に中島は福岡時代に断っていた芸人の相方になることを受け入れ芸人になることを決める。
そこから色々な事務所を渡り渡辺プロダクションに落ち着くも全くと言っていいほど一向に人気が出ず実質のクビとなった。
また一般人に戻り不安を抱えていた頃にまさかの田村英里子親衛隊長であることを知ったサンミュージックから拾ってもらう。田村英里子もサンミュージックの超大物であり、現在は事務所も違うが第一線で活躍している。事務所は現在アメリカでありアメリカの連ドラREAPERに出演などしている。
また以前日本でも人気のHEROESでもレギュラー出演を果たすなどアメリカでも人気だ。
あのマイクタイソンも以前、あれは日本人を好きになったと言わせるなど伝説も多数ある。
そんな田村英里子に恩がるサンミュージックは親衛隊長が困っているというのを聞きほっておいては田村に失礼と感じたのだろう。そして2004年に人気番組エンタの神様で竹山が服を脱ぎ強制退場という形で炎上し有名になった。
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カンニング中島幸男の病気と闘病生活
2004年12月に病気を理由に芸能界を休業。その時はまだ病名は発表されていなかったが本人は生きるか死ぬかの瀬戸際と気づいていたはずだ。悲しくも病気を発症したこの年は本人が一般女性と結婚し第一子となる長男が生まれた年だった。
そして2005年に病名が急性リンパ性白血病だということを明かした。
この病気はかなりの人数がなくなっている病気だけにニュースでも深刻に報道している。
竹山のネタかもしれないがこの時中島は買った競馬の馬券が次々に当たり自分が使えないので色々なひとにあげたり家族に新車を買ったりしており、竹山には競馬(JRA)に全て入院代払わしてやるぞー!って言ってたとか。
竹山はこのままいけばあいつはビルかなんか買ってますよ!と笑い話として話していた。
中島は臍帯血移植手術を行う予定でしたが急遽ドナーが風邪を引いてしまい移植手術ができなくなってしまった。
中島もそのタイミングでは肺炎にかかった。どうしてこのタイミングでと思うかもしれませんが免疫力の低い体の状態が長く続くと「ニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)」という肺炎にものすごくかかりやすいのだ。
そしてそのまま息を引き取り12月20日満35歳でこの世を去った。
同じ時期に歌手の本田美奈子も白血病にかかり闘病生活を余儀なくせれており、二人は手紙であ互いに励まし合いながら闘病生活を続けていたが本田美奈子も同じ年の11月にこの世を去っている。
竹山が泣きながら読んだ弔辞に応援の声が多数寄せられる
その後都内で行われた中島の葬儀と告別式では竹山が弔辞を読み上げた。
その時に言った、小さい頃からずっと一緒にいた前が相方でよかったよ。これからもカンニングは俺が続けていくから天国から見守っていてくれ。とボロ泣きしながら話していた姿は見ていたみんなが『竹山がんばれ』と思ったに違いありません。
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