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紫吹淳といえばアラフィフという年代にも関わらず抜群のプロポーションを誇り、同年代の女性から圧倒的な支持を得ておりメイクを真似したり服装を真似したりとカリスマ的存在でもあります。
最近ではその可愛さから30代、40代の女性からも支持を得ている元宝塚出身のマルチタレントです。
今回はそんな紫吹淳についてまとめています。
紫吹淳のプロフィール
本名:棚澤理佳
年齢:1968年11月19日
身長:170cm
血液型:A型
出身:群馬県
職業:元宝塚、女優
事務所:オスカープロモーション
紫吹淳の華麗な経歴
幼少期は足腰がかなり弱く3歳の時に両親の勧めでバレエを習い始める。しかし成長して行くにつれてバレエに興味がなくなり徐々に通わなくなりついにはやめてしまうことに。しかし学生時代にバレエがない生活は何か物足りなくもう一回バレエを習い始める。
その時の講師の一人が宝塚歌劇団の大ファンであり、スタイルや顔立ちの整った紫吹淳に宝塚音楽学校を受けてみては?と提案。
これに紫吹淳は高校受験とともに受け見事合格した。音楽学校を経て1986年に宝塚歌劇団の一員となる。
初舞台は星組の「レビュー交響楽」であり入団時の成績は24番だった。ちなみに同期には女優の香寿たつき、真織由季、歌手の中条まり、現役では専科の五峰亜季がいる。同年5月、香寿らとともに当時強豪揃いの年代だった。また配属は花組に配属となる。
花組配属後はダンサーとして活躍。1989年のニューヨーク公演、1994年のロンドン公演に参加するなど徐々に実力をつけて1992年、「スパルタカス」新人公演で初主演。以降、男役スターとして経験を積む。1996年に星組に異動。1997年には月組に異動し、当時のトップスターだった真琴つばさの下で2番手となる。2000年6月に各組の2番手・3番手と共に専科に異動(いわゆる「新専科」)。同年6月には、専科生としてベルリン公演に主演している。
2001年5月、真琴つばさの後任含みとして月組に戻り、同年7月に月組トップスターに就任。相手役は星組から異動した映美くらら。また、とびきり気障な役どころや悪役(ピカレスクの主役を含め)・敵役も演じた。
2004年3月「薔薇の封印-ヴァンパイア・レクイエム」を最後に退団した。
2004年4月、現事務所のオスカープロモーションへ所属、「女優宣言」を行い、芸能活動を新たにスタートした。ただしディナーショーなどの場では従来のように男役も演じている。
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マネージャーの菅由美子は紫吹の私設ファンクラブ代表で、独り暮らしを始めた際に菅が毎朝起こしに来たり、公共料金の支払いなど身の回りのことをしていた。紫吹が宝塚を退団しオスカーへ所属したのを機に、菅もオスカーに所属し正式に紫吹のマネージャーになった。
紫吹淳の実家が大金持ちすぎる
どうやら紫吹淳の実家が大金持ちという噂が持ち上がっていました。それは紫吹淳から発せられる発言が世間を知らなすぎるお嬢様みたいだったからだというのです。それはどのような発言かというと
「26年間、手料理を作っていない」
「居酒屋やコンビニに行ったことがない」
「結婚相手に求める年収は1億円!」
など普通の常識では考えられない育ちと価値観なのだ。この価値観を持っているのは超お嬢様を除いて他はいないだろう。
そして「自分では掃除も料理もできない。ばあやがいないと生活できない」や「財布には常に30万円以上入っている」など一般人と全く違うところやテレビで堂々と発言してしまう空気が全く読めないところが超お嬢様じゃないかといわれています。
このことで世間からの反発はかなりありますが本人はというと全く気にしてはいないみたいで視聴者からの苦情も炎上しきりもう炎上しなくなっています逆にずっとキャラが変わらないので最近では高感度タレント入りしています。
紫吹淳がアラフィフだが可愛すぎる件
紫吹淳はこれでアラフィフだというから驚きですよね。世間のアラフィフ女子はもちろんこんな綺麗じゃないですしもっとシワが目立つ顔になっています。芸能人ってなんでこんなに綺麗なんですかね?
同じ年には
菊池桃子
松野明美
森口博子
杉本彩
松下由樹
荻野目洋子
濱田マリ
などの芸能人も同級生にいますがこのメンバーを見ても群を抜いて若いですね。
また紫吹淳には整形疑惑も耐えませんがこれはデマでしょう。宝塚出身ということでちょっときつめのメイクになっているだけで形自体が不自然に変わることはなかったので本当に綺麗な女性なんでしょう!
いつまでも女性の憧れでいて欲しいですね。
今回は元宝塚女優の紫吹淳をまとめてみました。
この記事を最後までご覧いただきありがとうございました。
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